栗林のり子物語

中学時代

■北海道・釧路で育つ

明るく、おおらかな栗林のり子の人柄は、北海道・釧路の大自然の中ではぐくまれた。子どもの頃、友達の前では元気に振舞う彼女だったが、胸の奥はいつも寂しさでいっぱいだった。母方の家系は女性がすべて短命で、母親も病弱。「命の保証はない」と医師に言われながら、栗林を産んでくれた。母親は出産直後から長期入院となり、加えて、出張族の父親は家にいないため、やむなく祖父母に育てられることとなる。


短大卒業

■母親との別れ

高校卒業後、東京の短大に入学し上京。入院中の母親は「あなたが選んだ道だから、わたしのことは心配しなくていい。あなたには、お母さんのような人生を歩ませたくない……幸せになってね!」と。それが母親との最後の会話となった。母は46歳の若さで他界。短命とは聞かされていたものの、最愛の母を失った喪失感から、途方に暮れる日々を過ごすこともあった。しかし、そんな彼女の悩みに耳を傾け、親身に励ましてくれる先輩たちのおかげで無事、短大を卒業し、国際交流事業に従事する。


職場で

■政治とのかかわり

栗林を育ててくれた祖父は、自民党の町議会議員だった。物心ついた頃から政治は身近な存在で、資産家の祖父のまわりには、いつも大勢の人が集まり、選挙となればお祭り騒ぎ。ところが、祖父の事業が破綻して財産を失うと周囲の態度は一変。潮が引くように去っていった。結局、政治といっても利害関係の付き合いでしかなかったのかと、ぬぐい難い不信感が残った。

そんな彼女の心を変える出来事が起こる。就職して世田谷に住んでいた栗林は、友人の家を訪れていた。外は土砂降りの雨。そこへ友人のお父さんが全身ずぶ濡れになって帰ってきた。「いやあ、雨の日は心配でね。近くの川を見てきたんだ」と言うなり、雨合羽を脱ぎ捨て、ランニングシャツにエプロン姿で、得意の野菜炒めを作って振舞ってくれた。この飾らない気さくなおじさんが公明党の区議会議員と知って衝撃を受けた。議員のイメージが一変。偉ぶらず、黙々と人のために働く――それが本当の政治家だと心から感銘を受けた。


政治の世界へ

■政治の世界へ

平成15年、3人の子育てに奮闘する中、PTA活動や音楽を通して地域交流に貢献するボランティア団体の代表として、幅広く活躍する栗林に期待を寄せる多くの人達に押され区議会議員に初当選。政治の世界へ踏み出すことに不安でいっぱいの栗林に、故・桜井良之助都議会議員が語った。「栗ちゃん、政治家というのは、人のために尽くして尽くして尽くし抜いて、そのことを喜びとできる人だよ」。この一言が原点になった。

平成21年、奇しくもその桜井都議の後継として都議会議員に。以来、2期7年、「至誠天に通ず」を信条に、どこまでも困っている人、苦しんでいる人のために、休むことなく働き続ける。自らの子育て経験を踏まえて、お母さんたちの悩みに応えようと、全国初の「産後ケアセンター」や「24時間対応の認可保育園」、便利な駅前に「子育てステーション」を設置するなど、子育て支援のエキスパートとして活躍。本年も都内初となる都立公園内保育園の建設を実現した。一方で、高齢者からは介護や住宅の相談が多く寄せられる。時には区内の不動産会社を、おばあさんと一緒に何軒も訪ね歩いたこともあった。世田谷区役所内にある高齢者向けの住宅相談窓口「住まいサポートセンター」はそうした経験から実現したものだ。このほか、地域の安心と安全を守るため、空き家対策や電柱地下化など災害に強い街づくりにも尽力している。

いつも困っている人に寄り添い、解決への道を探る。相談に乗った支持者から「どうして、そこまで一生懸命に取り組んでくれるの?」と言われることがよくある。それは栗林自身が、周囲の人々から一人の人を大切にすること、また人に尽くす生き方を教えてもらったからだ。支えてくれた人たちへの恩返しのために、栗林は今日も「一人のため」に走り続ける。


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