被災地の復興・復旧に全力!

「東日本大震災」で被災された皆さまに心からお見舞いを申し上げます。
3・11から1年半たった今も震災のつめあとは深く、被災地の皆さまの戦いは続いています。栗林のり子は被災された皆さま、そして東北3県はじめ被災地域が復興・復旧できる日まで全力で働いていく決意です。

震災後、初めて被災地を訪問

2011年5月6日 (金) ? 7日(土)

大震災の発生から2カ月――。
被災地の皆さまは今、何にお困りだろうか。何かできることはないだろうか。胸を痛める日々の中、都議会公明党は未曾有の被害の実態を確認し、復旧・復興へ向けて的確な支援内容を探るため、岩手、宮城、福島の3チームに分かれて被災地を訪問しました。
栗林のり子は、岩手隊の一員として、木内良明議員、藤井はじめ議員、伊藤興一議員とともに現地へ向かいました。
不自由な避難所暮らしで少しでも気が紛れるものがほしいとの要望を事前に伺っていたので、世田谷ゲートボールクラブのご婦人から手作りの「お手玉」をお預かりし、また世田谷区内のメガネ製造販売 Bell さんからお預かりした「老眼鏡」などの支援物資を持参し、盛岡市の県災害対策本部を訪れました。



岩手・陸前高田市

種々打ち合わせを行い、いよいよ被災地の陸前高田市へ。大波にさらわれ見渡す限り平地と化してしまった町。道すら見当たらず、あるのはがれきの山だけ。呆然として声もでませんでした。

  伊藤都議とつながりのある方から、道路が寸断され孤立状態になっている地域があると聞き、まさに道なき道を走り、やっとの思いでたどり着きました。迎えてくださったご婦人も「どうやってここまで来たんですか?」と驚かれた様子でした。陸の孤島となったその地域では、「食料の支給も週2回程、パンとカップラーメンが届けられるだけで食べ物が無くなって心配」との声を伺い、早速、東京都の岩手事務所につなぐことができました。

  また、港に近い地域では、水産加工場から大量に流れでた腐敗した魚があちらこちらに散乱し、強烈な臭いを放っていました。気候も次第に暑くなる時期で、腐臭対策の必要性も痛感しました。
そうした中でも懸命にがれきを撤去し、車が通れる道をつくっていらっしゃる地元の方々、ボランティアの方々の姿がありました。



岩手・大船渡市

続いて大船渡市へ。辺り一面、焼け野原のように土台しか残っていない住宅地で、あるご家族が探し物をされています。「うちはここで、たばこやをしていたんだ」。70歳くらいのおばあちゃんが話してくださいました。「写真が残っていないかと思ってきたんだけど……1枚も見つからない」と。
お孫さんたちは何か宝探しでもしているように、「あった、あった」と無邪気にはしゃいでいます。おばあちゃんも笑顔で、
「おたくはどこから来たの?」と。
「東京からです。公明党の都議会議員をしています」
そう言って、おばあちゃんの手を握りしめながら、精いっぱい、心を込めて語りかけました。
「がんばってください、なんてとても言えないけれど、何かさせてもらえないかと思って来たんです」
すると、それまでニコニコしていた、おばあちゃんの目からポロポロ、ポロポロ、大粒の涙があふれてきたのです。
どれほどの悲しみを隠しておられるのかと思い、胸が痛みました。この方々のご苦労を思うと、どんなに応援してもしすぎることはない。「復興」と呼べる日が来るまで、全力で支援させていただこうと深く心に誓いました。

東京へ戻ると、すぐに被災地でうかがった数多くの声を都知事に届けました。そうした中から、1泊3000円を助成する「被災地応援ツアー」などが実現をみました。



夏を迎えた被災地は虫が大量発生

2011年8月

震災から5カ月。被災地は夏を迎えていました。
栗林のり子は、友人が営む店舗のお見舞いも兼ね、宮城県石巻市へ視察に訪れました。店舗は津波で流されたのですが、すでに仮設住宅で営業を再開されていました。ところが、店舗にうず高く積まれていたのは、なんと防虫剤。大量に発生した蚊やハエが人々を悩ませていたのです。
友人と再会し、震災直後の様子やその後のご苦労を聞かせていただきました。

仙台の市街地が復旧に向けて力強く進んでいるのを実感する一方、沿岸の被災地域は何も手つかずの状態で、政府の復興支援の遅さに憤りを感じました。
依然としてがれきが散乱する惨状を見て回りながら、「被災地の皆さま、どうかどうか頑張ってください」と心から祈らずにはいられませんでした。

チャリティーコンサート@成城ホール

2011年8月13日

被災地のために、できることは何でもやろう! 栗林のり子は、原発被害で苦しむ福島県飯館村の小学生を、自由に遊べる場所へ招待するための「青空笑顔プロジェクト」に全面協力。世田谷区の成城ホールで、チャリティーコンサートを開催しました。
趣旨に賛同してくださった、島田歌穂さん、沢田知可子さんら多くのアーティストの方々が協力してくださり、999円(サンキュー)でチケットを販売したところ満員御礼! 大成功のコンサートとなりました。
8月27日?28日、チャリティーコンサートの寄付金で、川俣町と福島市内に避難している飯館村の子どもたちを長野県白馬村へ招待。青空の下、気球に乗ったり、バーべキューを楽しんだり、子どもたちの笑顔が広がりました。
ご協力くださった皆さまに心より感謝を申し上げます。

原発事故の被害に苦しむ福島・南相馬市へ

2012年2月9日

公明党の提案で実現した東京都の被災地応援ツアー(東北3県、1泊3000円)は、用意した2万泊分がすぐに完売となり、現地でも大変に喜ばれました。公明党は引き続き2012年度予算で、風評被害に苦しむ福島に限定した被災地応援ツアーを提案、実現の運びとなりました。

原発事故の被害に苦しむ南相馬市へ、松葉多美子都議とともに視察に訪れました。南相馬は国の避難指示のうち「警戒区域」と「計画的避難区域」になっていました(4月に解除され、「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」「帰還困難区域」に再編)。地元の皆様と女性の視点からの防災に関する意見交換。東京都に対するご要望もいただき取り組むべき課題も伺うことができました。
途中通過した飯舘村は、家はあっても人の姿はありません。かつては買い物客でにぎわっていたであろう商店街も、ひっそりと静まりかえっていました。今後、除染などが進んだとしても、子どもたちが帰れるかどうか……。
現地の視察をしながら、将来のエネルギー問題について思いをめぐらせました。あれほど安全だと主張されてきた原発の”安全神話”が崩れ去り、これほどまで人々の暮らしを変えてしまったわけですから。

ある日、浪江町から都内へ避難してこられたご婦人の方と話す機会がありました。
「もう、原発はダメだよ。あんなんなってしまうんだからね」
「わたしたちみたいな思いする人、だしちゃだめだよ」
怒りをもって語るのではなく、それも通り越して、淡々と、しみじみと語られる言葉だっただけに、余計に心に響きました。
「原発はダメだよ、もう……」
ひとたび事故が起こってしまった場合の被害の深刻さ、影響の重大さを思うとき、100%の安全確保ができない状況での原発の再稼働はありえないし、経済事情を考慮しながらも、やはり原発ゼロに向かうしかないと確信いたします。近い将来、それもできる限り早く、原発ゼロ社会を実現するために、栗林のり子は全力を尽くしてまいります。


南相馬市ふるさと回帰支援センター前で松葉都議と
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